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「増鏡」山のもみぢ葉(その8)

その年にや、五月の頃、本院、亀山殿にて如法経書かせ給ふ。いとありがたくめでたき御事ならんかし。後白河院ごしらかはのゐんこそかかる御事はせさせ給ひけれ。それも御髪下ろして後の事なりけり。いとかく思し立たせ給へる、いみじき御願なるべし。さるは、数多度あまたたび侍りしぞかし。をとこは、花山院の中納言師継もろつぐ一人さぶらひ給ひける。やんごとなき顕密の学士どもを召しけり。昔、上東門院も行はせ給ひたりしためしにや、大宮院、同じく書かせおはしますとぞうけたまはりし。十種供養果てて後は、浄金剛院へ御みづかをさめさせ給へば、関白・大臣・上達部歩み続きて御供仕うまつられけるも、様々めづらしく面白くなん。




その年(弘長こうちやう三年(1263))のことでございましたか、五月の頃、本院(第八十八代後嵯峨院)が、亀山殿(第八十八代後嵯峨院が小倉山東南の亀山山麓に造った離宮)で如法経([一定の法式に従って経文を 筆写すること。多くは法華経についていう])をお書きになられました。たいそうありがたくおめでたいことでございました。後白河院(第七十七代天皇)ばかりが同じことをなさいました。けれどもそれは髪を下ろされて後のことでございました。思い立たれたのは、格別の願によるものでございました。しかも、何度もお書きになられたのでございます。男は、花山院の中納言師継(花山院師継)一人だけでございました。立派な顕密([密教以外の仏教と密教])の学士たちを集められました。昔、上東門院(第六十六代一条天皇中宮、藤原彰子あきこ)もなされた例に従われたのか、大宮院(後嵯峨天皇中宮、西園寺姞子きつし)も、同じくお書きなられたとお聞きしております。十種供養([華・香・瓔珞ようらく・抹香・塗香・焼香・ 繒蓋そうがい幢幡どうばん・衣服・伎楽をもって行う供養])果てて後は、浄金剛院(亀山殿の付属寺院)へ自ら納められました、関白・大臣・上達部が続いてお供いたすのも、様々珍しく趣きあるものでございました。


続く


by santalab | 2014-08-14 22:07 | 増鏡

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