先帝の御わざの沙汰あり。院号ありて後二条院とぞ聞こゆる。堀川の右大将具守、御車寄せらる。心の内いかばかりかおはしけん。大将になり給へるも、この御門の、西花門院睦ましうも仕り給へるに、いとほしき御事なり。御素服を着給はざりしをぞ、思はずなる事に世の人も言ひ沙汰しける。内侍のかんの君も様変はり給ふ。中宮も院号ありて、長楽門院と聞こゆ。万あはれなる事のみ、書き尽くし難し。
先帝(第九十四代後二条天皇)の葬送の沙汰がございました。院号が下されて後二条院と申されました。堀川の右大将具守(堀川具守)が、車を出されました。心の内はどれほどのものでしたでしょう。大将になられたのも、後二条天皇が、西花門院(堀川基子。後二条天皇の生母。具守の姪)と睦ましくなさっておいででしたので、悲しみは一入でございましたでしょう。素服([喪服])を着ておられませんでしたが、あまりにも思いがけないこと故のことだと世の人は噂しておりました。典侍の君(一条家経の娘)も出家されました。中宮(徳大寺忻子)にも院号あって、長楽門院と申されました。万事悲しいことばかりでございました。とても書き尽くすことはできません。
(続く)