正安二年正月三日、御門、御元服し給ふ。今年十三にならせ給へば、御行末遙かなるほどなり。またの年正月の頃、内侍所の御しめの下り給へるは、いかなるべき事にかなど、忍びささめくほどこそあれ、東よりの御使ひ上るとて、世の中騒ぎて、禅林寺殿見奉り給ふ世にとや、正月二十一日、春宮御位に即かせ給ひぬ。下り居の御門御年十四にて、太上天皇の尊号あり。いときびはにいたはしき御事なるべし。僅かに三年にて下りさせ給へれば、何事の映えもなし。この春は、春日の社に行幸などあるべしとて、世の中まだきより面白き事に言ひ合へりつるも、掻い湿りていとさうざうし。さてこの君を新院と申せば、父の院をば、中の院と聞こゆ。御門の御父は一の院と申す。
正安二年(1300)正月三日に、帝(第九十三代後伏見天皇)は、元服なされました。今年十三歳でございますれば、行末は遙かなほどでございました。次の年正月頃、内侍所(八咫鏡)の御しめ(御下=内侍に次ぐ女官?)が持ち去りましたが、どういうことかと、忍び噂しておりましたところ、東国よりの使いが上ると聞こえて、世の中は騒ぎになりました、禅林寺殿(第九十代亀山院)が世を治められるということで、正月二十一日に、春宮(邦治親王)が位に就かれました(第九十四代後二条天皇です)。下り居の帝(後伏見天皇)は御年十四にして、太上天皇の尊号がございました。幼くておかわいそうなことでございました。わずか三年で位を下りられたので、はかばかしいことはございませんでした。この春には、春日の社(現奈良県奈良市にある春日大社)に行幸をなされると、帝にお立ちにならないうちより楽しみにしておられましたが、湿りがちでさびしい限りでございました。さてこの君(後伏見院)を新院と申して、父の院(第九十二代伏見院)を、中の院と申されました。帝の父(第九十一代後宇多院)を一の院と申されました。
(続く)