京極表の棟門に御輿を抑へて、院司事の由を奏す。乱声の後、中門に御輿を寄す。中門の下より出づる遣水に、小さく渡されたる反橋の左右に、両大将跪く。剣璽は権の亮宰相の中将公泰勤められしにや。関白、公卿の座の妻戸の御簾をもたげて入り奉らせ給ふ。とばかりありて、寝殿の母屋の御簾皆上げ渡して、法皇出でさせ給へり。香染めの御衣、同じ色の御袈裟なり。御袈裟の箱を御そばに置かる。内の上、公卿の座より勾欄を経給ふ。御供に関白候ひ給ふ。
京極大路(富小路。平安京の東端に位置する大路。現寺町通)に面した棟門([本柱を2本立てて棟を高く上げ、屋根を切妻造りにした平入りの門])に輿を止められると、院司([上皇・法皇・女院の庁で事務を執った職員])がお迎えいたしました。乱声([雅楽の笛の曲])の後、中門に輿を寄せられました。中門の下より流れ出る遣水([庭園内に水を導き流れるようにしたもの])に、小さく渡された反橋([中央が高く、弓状に曲線を描いている橋])の左右に、両大将(左大将今出川兼季・右大将鷹司冬教)がひざまつきました。剣璽([草薙剣と八尺瓊曲玉])の役は権亮宰相の中将公泰(洞院公泰)が勤められたとか。関白(一条内経)が、公卿の座([儀式や集会の際に設けられる公卿の地位相応の座所])の妻戸([寝殿造りで、出入り口として建物の端に設けた両開きの板戸])の御簾をもたげて中へ入られました。しばらくして、寝殿([主人の居室])の母屋の御簾を皆上げ渡されて、法皇(第九十一代後宇多院)がお出になられました。香染め([黄色を帯びた薄紅色])の衣に、同じ色の袈裟をかけておられました。袈裟の箱をそばに置かれておりました。内の上(第九十六代後醍醐天皇)は、公卿の座より勾欄(廊)を渡られました。お供は関白(一条内経)でございました。
(続く)