明け方は、身に染むばかり若き人々愛で合へり。さらでだに、秋の初風は、げにそぞろ寒き習ひを、理にや。御遊び果てて文台召さる。この度は和歌の披講なれば、その道の人々、藤大納言為世、子ども孫ども引き連れて候へば、上の御製、
笛竹の 声も雲井に 聞こゆらし 今宵手むくる 秋の調べは
順流るめりしかど、いづれもただ
天の川、
鵲の橋より外は、
珍しき節は聞こえず。まことや、
実教の大納言なりしにや、
同じくは 空まで送れ 焚き物の 匂ひをさそふ 庭の秋風
げにえならぬ
名香の香どもぞ、めでたく
香ばしかりし。
明け方ともなりますれば、身に染むばかりに若い人々は興じ合ったのでございます。七月のことでございますれば、秋の初風は、身に染むばかりに冷ややかでございますれば、道理とでも申しましょうか。遊び(管弦)が終わると後醍醐天皇(第九十六代天皇)は文台([歌会や連歌・俳諧の会席で、短冊・懐紙などをのせる台])を持って参るように命じられました。この度は和歌の披講([詩歌の会で、詩歌を読みあげて披露すること])でしたので、その道の人々、藤大納言為世(二条為世)が、子ども孫どもを引き連れて参っておりました、上(後醍醐天皇)の御製([天皇の作る詩文や和歌])、
笛竹の声も天に届いたであろう。今宵手向け([神仏や死者の霊に物を供えること])た秋の調べに満足していただけましたか。
盃が廻らされましたが、いずれもただ天の川や、鵲の橋([七夕の夜、牽牛・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋])の歌ばかりで、格別のものはございませんでした。その中に、実教大納言(小倉実教)でしたか、
焚き物([香])の匂いにつられて庭に吹く秋風よ、どうかこの焚き物([香])の匂いを天まで運んでほしいものよ。
言葉では申せないほどの名香の香が、香ばしくただよっていたのでございましょう。
(続く)