二月になれば、やうやう故宮の御一廻りの事ども、永嘉門院には営ませ給ふも、哀れ尽きせず。鷹司の大殿も失せ給ひぬ。この頃の世には、いと重くやむごとなく物し給へるに、いと新し。北政所は中院の内の大臣通重の御同胞なり。それも様変はり給ひぬ。近頃、良き人々多く失せ給ひぬるこそ、いと口惜しけれ。
二月になって、故宮(第九十四代後二条天皇の第一皇子、邦良親王)の一周忌の法要など、永嘉門院(第九十一代後宇陀天皇後宮。第八十八代後嵯峨天皇の第一皇子で鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王の王女、瑞子女王)に営ませましたが、悲しみは尽きることがございませんでした。鷹司の大殿(鷹司冬平)も亡くなられました。この頃の世に、重用されりっぱに政をなされておられましたが、早すぎることでございました(冬平は五十四歳で亡くなった)。北政所は中院内大臣通重(中院通重)の姉妹でございました。北政所も様を変え仏門に入られました。近頃、りっぱなお方がたくさん亡くなられましたが、たいそう残念なことでございました。
(続く)