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「増鏡」秋のみ山(その25)

花も紅葉も散り果てて、雪積もる日数ひかずのほどなさに、また年変はりて正中しやうちゆう元年ぐわんねんと言ふ。三月やよひの二十日余り、石清水いはしみづの社に行幸し給ふ。上達部・殿上人いみじき清らを尽くせり。関白殿房実ふさざねは御車なり。右大将実衡さねひら、松がさね下襲したがさね、鶴のまろを織る。蘇芳すはう固紋かたもんきぬ。左大将経忠つねただ桜萌黄さくらもえぎ二重ふたへ織物の御下襲桜にてふを色々に織る。花山吹のうへの袴・くれなゐの打ちたる御衣おんぞ、人より異にめでたく見え給ふ。御かたちも、にほひやかに気高き様して、まことに、一の人とはかかるをこそは聞こえめと、飽かぬ事なく見え給ふ。土御門の中納言顕実あきざね、花桜の下襲なりき。花山院の中納言経定つねさだなどぞ、上臈じやうらふの若き上達部にて、いかにもめづらしからんと、世の人も思へりしかど、家のやうとかや何とかやとて、ただいつものままなり。




花も紅葉も散り果てて、雪が積もり日数を経ないほどに、また年が変わって正中元年(1324)になりました(元亨げんかう三年(1323)が飛んでる?)。三月の二十日過ぎ、後醍醐天皇(第九十六代天皇)は石清水の社(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)に行幸なされました。上達部・殿上人もたいそう着飾っておいででございました。関白殿房実(九条房実)は車に乗っておられました。右大将実衡(西園寺実衡)は、松襲([襲の色目の名。表は萌葱、裏は紫])の下襲([束帯の内着で、半臂はんぴまたはほうの下に着用する衣])に、鶴丸を織ってございました(鶴丸は日野家の家紋だが)。蘇芳([蘇芳色]=[黒味を帯びた赤色])の固紋([綾織物の模様を、横糸に縦糸をからめ、横糸が浮かないようにかたくしめて織り出したもの])の衣でございました。左大将経忠(近衛経忠)は、桜萌黄([かさねの色目の一つ。表は萌葱、裏は二藍ふたあい=青紫。または赤花=赤紫、あるいははなだ=薄青色。春に着用する])の二重織物([地紋の上にさらに別糸で他の文様を浮き織りにした織物])の下襲には桜と蝶を色々に織ってございました。花山吹([襲の色目の名。表は薄朽葉うすくちば=明るい灰黄褐色、裏は黄色])の上袴([男子が束帯のとき、大口袴の上にはく袴])・紅の打衣うちぎぬ([表地に光沢や張りをだす処理を施した衣])、人よりとりわけりっぱに見えました。姿かたちも、華やかで気高くて、まこと、一の人([摂政・ 関白、または太政大臣・左大臣の異称])とはこのような人であられるべきと、飽きることなく見ておりました(近衛経忠はこの時、右大臣。後に関白)。土御門中納言顕実(土御門顕実)は、花桜([襲の色目の名。表は白、裏は青または紅])の下襲でございました。花山院中納言経定など、上臈([地位・身分の高い人])の若い上達部もおられて(経定は、前右大臣花山院家定いへさだの子)、珍しい見物と、世の人も思っておりましたが、お供の家柄や何にしても、いつも通りでございました。


続く


by santalab | 2014-09-05 15:20 | 増鏡

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