さてその後、かの頼基入道も病ひ付きて、後枕も知らず惑いながら、常は人に畏まる気色にて、衣引き掛けなどしつつ、「やがて参り侍る参り侍る」と一人ごちつつ、ほどなく失せぬ。粟田の関白の隠れ給ひにし後、「夢見ず」と、歎きし者の心地ぞする。故殿のさばかり思されたりしかば、召し取りたるなんめりとぞ、いみじがり合へりし。
さてその後は、頼基入道(土岐頼基)も病いを患われて、後枕も知らず([どうしてよいかわからない])迷われて、常に人を遠ざけるように、衣を引きかぶっておりましたが、「すぐに参ります参ります」と独り言を言いながら、ほどなく亡くなりました。粟田関白(藤原道兼)がお亡くなりになられた後、「夢を見られることなく」と、悲しんだ者たちのような気持ちでございました(道兼は関白になって数日後に亡くなった)。故殿(近衛家平)がたいそう思われておられましたので、連れて行かれたのではないかと、悲しみ合ったのでございます。
(続く)