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「信長公記」公方様御生害の事

永禄えいろく十一年戊辰つちのえたつ以来、織田弾正忠だんじやうのちゆう信長の御在世、かつ、これを記す。先の公方光源院義輝よしてる御生害、同じく御舎弟鹿苑ろくをん院殿、その外、諸侯の衆歴々討ち死にの事。その濫觴らんしやう者、三好修理大夫天下の執権たるに依つて、内々、三好に遺恨思し召されるべきと、兼ねて存知、御謀反を企てらるるの由、申し掠め、事を左右に寄せ、永禄八年五月十九日に、清水詣と号し、早朝より人数を寄せ、すなはち緒勢殿中へ乱れ入る。御仰天なされ侯ふといへども、是非なき御仕合せなり。数度斬つて出で、討ち崩し、余多に手負はせ、公方様御働き侯ふといへども、多勢に敵はず、御殿に火を懸け、終に御自害なされ侯ひをはんぬ。同じく三番日の御舎弟鹿苑院殿へも平田和泉を討手にさし向け、同じ刻に御生害。御伴衆悉く逃げ散り候ふ。その中に、日頃御目を懸けられ侯ふ美濃屋小四郎、いまだ若年十五、六にして、討手の大将平田和泉を斬り殺し、御相伴仕り、高名比類なし。まことに御当家破滅、天下万民の愁歎これに過ぐべからず、云々。




永禄十一年(1568)戊辰以来の、織田弾正忠信長(織田信長)の在世、信長の生涯について、記すことにいたします。先の公方光源院義輝(室町幕府第十三代将軍足利義輝)を殺害、同じく弟鹿苑院殿(足利周暠しうこう)、そのほか、諸侯の衆歴々([地位・身分などの高い人々])が討ち死にいたしました。これが戦国の濫觴([物事の起こり])となったのでございます、三好修理大夫(三好長慶ながよし)が天下の実権を握って、将軍家は内々、三好(長慶)に遺恨を持っておられることは、明らかでございましたので、三好長慶は謀反を企て、隙を窺い、事を左右に寄せ([とやかく口実を設けて])、永禄八年(1565)五月十九日に、清水詣と偽り、早朝より兵を集め、たちまち緒勢が殿中へ乱れ入りました。将軍(足利義輝)は仰天なされましたが、応戦するほかありませんでした。数度斬って出て、敵を討ち崩し、多くに手負わせ、公方様(足利義輝)も戦われましたが、多勢には敵わず、御殿に火を懸け、終に自害されたのでございます(永禄の変)。同じく三番日の弟鹿苑院殿(足利周暠)の許にも平田和泉守を討手にさし向け、同じ刻に殺害しました。相伴衆([将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々])は一人残らず逃げ去りました。その中に、日頃より日をかけられておりました美濃屋小四郎は、まだ若年十五、六でしたが、討手の大将平田和泉守を斬り殺し、周暠の後を追って自害しました。その高名は類ないものでした。これにより将軍家は破滅し、天下万民の嘆き悲しみは例えようもないものであったと、いうことでございます。


続く


by santalab | 2014-09-08 08:38 | 信長公記

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