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「増鏡」おどろのした(その6)

建久けんきう九年正月十一日、第一の御子みこ土御門院四つになり給ふに、御位ゆづまうさせ給ひて、下り給ふ。御年十九。位におはしますこと十五年なりき。今日けふ明日、二十ばかりの御よはひにて、いとまだしかるべき御事なれども、よろづき御有様おんありさまよりは、中々安らかに、御幸ごかうなど御心のままならんとにや。世を知ろし召す事は今も変はらねば、いとめでたし。鳥羽殿・白河殿なども修理せさせ給ひて、常に渡り住まはせ給へど、なほまた水無瀬みなせと言ふ所に、えもいはず面白き院造りして、しばしば通ひおはしましつつ、春秋の花紅葉につけても、御心行く限り世を響かして、遊びをのみぞし給ふ。所がらも、はるばると川に臨める眺望、いと面白くなむ。元久げんきうの頃、詩に歌を合はせられしにも、取り分きてこそは、

見渡せば 山もとかすむ 水無瀬川 夕は秋と 何思ひけむ




建久九年正月十一日、第一皇子土御門院は四つにおなりでございましたが、位を譲られて、後鳥羽天皇(第八十二代天皇)は帝を下りられました。御年十九でございました。帝位におられたのは十五年でございます。今日明日いまだ、二十ばかりのお年で、まだ帝であられるべきでございましたが、何事も窮屈であられるよりは、心安らかに、御幸などお心のままになさろうと思われたのでございましょうか。世を治められることは今までと変わることなく、ごりっぱになされました。鳥羽殿(現京都市南区上鳥羽・伏見区にあった離宮)・白河殿(現京都市左京区にあった第七十二代白河院の院御所)なども修理されて、常に渡り住んでおられましたが、また水無瀬(現大阪府三島郡島本町)と言う所に、申しようもなく趣きのある院をお造りになられて、しばしば通われておられました、春秋の花紅葉の季節には、思うままに都の人々を呼ばれて、遊び(管弦)を楽しんでおられました。場所がらも、はるばると川(水無瀬川)を臨む眺めは、たいそう趣きがございました。元久の頃、詩に歌を合わせられましたが、格別でございましたのは、

見渡せば、山の麓は霞み、遠く水無瀬川が見える。夕べは秋が一番などと申すが、何を思ってのことか。春の夕暮れが格別であろう。


続く


by santalab | 2014-09-13 08:35 | 増鏡

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