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「増鏡」おどろのした(その9)

今の摂政は、院の御時の関白基通もとみち大臣おとど。その後は後京極殿良経よしつねと聞こえ給ひし、いと久しくおはしき。この大臣はいみじき歌のひじりにて、院の上同じ御心に、和歌の道をぞまうし行はせ給ひける。文治ぶんぢの頃、千載集ありしかど、院いまだきびはにおはしまししかばにや、御製も見えざめるを当帝位の御ほどに、また集めさせ給ふ。土御門の内の大臣の次郎君右衛門かみ通具みちともと言ふ人をはじめにて、有家ありいへの三位・定家さだいへの中将・家隆いへたか雅経まさつねなどにのたまはせて、昔より今までの歌を、広く集めらる。各々奉れる歌を、院の御前にて、身づから磨き整へさせ給ふ様、いとめづらしくおもしろし。この時も、先に聞こえつる摂政殿、とりもちて行なはせ給ふ。




今の摂政は、後鳥羽院(第八十二代天皇)の御時の関白基通大臣(近衛基通)でございました。その後は後京極殿良経(九条良経)と聞こえて、たいそう長く関白であられました。この大臣(九条良経)はたいそう和歌がお上手で、院の上(後鳥羽院)と、和歌の道を語り合っておられました。文治の頃(文治四年(1188))、千載集(『千載和歌集』。第七十七代後白河院の勅撰)がございましたが、後鳥羽院はまだ幼くございましたからでしょうか、御製([天皇の作る詩文や和歌])も入っておられませんでしたので当帝(第八十三代土御門天皇)が位にあられた頃に、また編纂を命じられました(『新古今和歌集』)。土御門内大臣(源通親みちちか)の次男右衛門督通具(堀川通具=源通具)と言う人をはじめとして、有家の三位(六条有家)・定家中将(藤原定家)・家隆(藤原家隆)・雅経(飛鳥井雅経)などに命じられて、昔より今までの歌を、広く集められました。各々集められた歌を、後鳥羽院の御前で披露されましたが、後鳥羽院自ら磨き調えられる様は、たいそう珍しう趣きがございました。この時も、先に申しました摂政殿(近衛基通)が、取り持たれたのでございます。


続く


by santalab | 2014-09-13 22:04 | 増鏡

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