御心ばへは、新院よりも少し才め秀て、あざやかにぞおはしましける。御才も、大和唐土兼ねて、いとやむごとなく物し給ふ。朝夕の御営みは、和歌の道にてぞ侍りける。末の世に、八雲などいふ物作らせ給へるも、この御門の御事なり。摂政殿の姫君参り給ひて、いと華やかにめでたし。この御腹に、建保二年十月十日、一の皇子生まれ給へり。いよいよ物逢ひたる心地して、世の中揺すり満ちたり。十一月二十一日、やがて親王になし奉り給ひて、同じ二十六日、坊に居給ふ。いまだ御五十日だに聞こし召さぬに、いち早き御もてなし、珍らかなり。心許なく思されければなるべし。今一入、世の中めでたく、定まり果てぬる様なめり。新院は、いでやと思さるらんかし。
順徳天皇(第八十四代天皇)のお心もちは、新院(第八十三代土御門院)よりも少し才めかれて([才気がある])、目立っておられました。才能も、大和(和歌)唐土(漢詩)に長けておられ、お上手でございました。朝夕には決まって、和歌をお詠みになられました。末の世に、八雲(『八雲御抄』。歌論書)などいうものをお作りになられたのも、この帝(順徳天皇)でございました。摂政殿(九条良経)の姫君(九条立子)が入内されましたが、とても優雅で美しうございました。この腹に、建保二年(1214)十月十日、第一皇子(懐成親王)がお生まれになられました。ますます時を得て、世の中は騒ぎ合いました。十一月二十一日、やがて親王になされて、同じ十一月二十六日には、坊([皇太子の居所])に置かれました。まだ五十日([生誕五十日目の祝い])さえ聞かないうちに、いち早く東宮になさるのは、珍しいことでございました。争いを心配されてのことでございました。後鳥羽院にとりましてはよりいっそう、世の中がおめでたいものと、思われたことでございましょう。新院(土御門院)は、どういうことかと思われたのではないでしょうか。
(続く)