またの日は、無量光院の前の花の木蔭に、上達部立ち続き給ふ。廂に倚子立てて、上はおはします。御遊始まる。拍子に治部卿参る。上も桜人謡はせ給ふ。御声いと若く華やかにめでたし。去年の秋の頃かとよ、資親の中納言に、この曲は受けさせ給ひて、賞に正二位許させ給ひしも、今日のためとにやありけんと、いと艶なり。物の音ども調ほりて、いみじうめでたし。その後歌ども召さる。花を結びて文台にせられたるは、保安の例とぞ言ふめりし。春宮の大夫公宗序書かれけり。
海内艾安之世、城北花開之春、我が君親臨をこの所に促し、調楽厥の中に懸かれり、重ねて六義の言葉を課し、屡数柯の濃花を賞す、奉梢出雲の昔の雲再び懸かれるかと疑ひ、満庭廻雪の昨日の雪のなほ残れるかと省みる、小風情と言へども憖露詠に瀝す、
その
詞にいはく、
時をえて 御幸甲斐ある 庭の面に 花も盛りの 色や久しき
御製、
代々の御幸の あとと思へば
この
上忘れ侍る。後にも見出だしてとぞ。
次の日は、無量光院の前の花の木蔭に、上達部が立ち並ばれました。廂に倚子を立てて、上(第九十六代後醍醐天皇)は座っておられました。遊び([管弦])が始まりました。拍子に治部卿(平成輔)が参りました。上(後醍醐天皇)も桜人([催馬楽の曲名])を謡われました。声はたいそう若く華やかで美しくございました。去年の秋頃でしたか、資親中納言(日野資親)に、この曲を謡わせて、賞に正二位を下されたのも、今日のためではなかったかと思えば、なんとも洒落たことでございました。物の音も合って、たいそうすばらしいものでございました。その後歌を詠まれました。花を結んで文台([歌会や連歌・俳諧の会席で、短冊・懐紙などをのせる台])になされましたが、保安(第七十四代鳥羽天皇の時代)の例に倣ったということでございます。春宮大夫公宗(西園寺公宗)が序を書かれました。
海内([国内])は艾安([世の中がよく治まって 穏やかなこと])にして、城北は花開く春でございます、我が君(後醍醐天皇)がこの地に親臨([天子や貴人が、その場所にみずから出向くこと])なされ、調楽([舞楽のための試楽・予習])に加えられ、重ねて六義([和歌の六種の風体])の言葉を下され、何度も色付いた花を愛でる、梢には神代の昔の雲が再びかかったようで、花盛りの庭に廻雪([風に吹きまわされる雪])のように舞いまるで昨日の雪がまだ残っていたかと振り返る、小風情と言えども露詠(はかなく消える露を憂い歌を詠む)すれば、涙がこぼれる、
その詞には、
帝になられて御幸をなされた今日の日はまこと時節よろしい日でございます。花も帝と同じく盛りでございます、この花の色も久しく続くことでございましょう。
御製([天皇の作る詩文や和歌])、
代々の御幸の あとと思へば
この上の句は忘れてしまいました。後に思い出せばよろしいのですが。
(続く)