御女、宮の御腹の大君は、御兄の今の帝に仕うまつらせ給ひけり、男四人、女三人、七人の宮たちの御母にて、一の女御、歳三十一。大殿の御腹に、先帝の御同胞の中務の宮の北の方、歳二十一。同じ腹の三の君、右の大殿の藤宰相の北の方、歳十九。四の君、左大臣殿の二郎、左近中将源実頼の北の方、歳十八。宮の腹の五の君、式部卿の北の方、歳十七。六の君、右大臣藤原忠雅の大臣の北の方。七の君。右大臣殿の太郎、衛門督藤原忠俊の北の方、十四。いまだ御夫なき、九の君、貴宮と聞こゆる、十二。十の君、ちご宮、十一。大殿の御腹、十一は十、十二は九つ。こなたの御腹の、十三の君、そで宮、八つ。十四の君、けす宮、七つ。その御弟の男君、六つになむおはしましける。
女の子は、宮(女一の皇女)の子である長女は、宮の兄である今の帝に出仕させました、男四人、女三人の、七人の子たちの母で、一の女御(妻)、三十一歳。大殿(太政大臣の娘)の子である次女は、先帝の兄弟である中務(中務卿=中務省の長官、正四位上相当)の妻で、二十一歳。同じく大殿の三女、右大臣の藤宰相(藤は藤原氏、宰相は参議、藤宰相と呼ばれていたのでしょう。源氏物語にも登場します。この藤宰相は実在した藤原実成のことではないでしょうか。実成は参議だったことがありますし、実成の父、藤原公季は太政大臣、祖父の藤原師輔は右大臣でした)の妻で、十九歳。四女は、左大臣の次男、左近中将(左近衛府の次官、従四位下相当)源実頼(源実頼も実在しました。天徳内裏歌合、村上天皇(926~967)の時代ですが、この歌合の判者だったのが源実頼らしい)の妻で、十八歳。宮の子の五女は、式部卿(式部省の長官、正四位下相当)の妻で、十七歳。六女、右大臣藤原忠雅の妻。七女。八女は、右大臣の長男、衛門督(衛門府の長官、正五位上相当)藤原忠俊の妻で、十四歳。結婚していない、九女は、貴宮といい、十二歳。十女は、ちご宮で、十一歳。大殿の子、十一女は十歳、十二女は九歳。別妻(太政大臣の娘)の子である、十三女、そで宮は、八歳。十四女、けす宮は、七歳。その弟は、六歳でした。
(続く)