さて都には、二十四日の夜、六波羅より常陸の守時知馳せ参りて、百敷の中をあさり騒ぐ。そのほど、人の曹司などに、おのづから落ち残りたる女房の心地、言はん方なし。おはします殿を見れば、近き御厨子・御調度ども、何くれ、硯なども、さながらうち散りて、ただ今までおはしましける跡と見えながら、宮人などだに一人もなし。女房の曹司曹司より、樋洗しめく女の童など、我先にと走り出で、調度ども運び騒ぎ、崩れ出づる気色ども、いと浅ましく、目も綾なり。
さて都では、二十四日の夜、六波羅探題より常陸守時知(北条時知)が馳せ参り、百敷([宮中])の中を捜し回りました。その時、人の曹司([部屋])などに、残っておりました女房どもの恐ろしさは、言いようもないものでございました。後醍醐天皇(第九十六代天皇)のおられた殿を見れば、近くの厨子([置き棚])・調度([家具])、何もかも、硯までも、取り散らして、ただ今までおられた跡のように思われましたが、宮人は一人もいませんでした。女房の曹司曹司より、樋洗し([便器の清掃などをする、身分の低い女性])ほどの女童などが、我先にと走り出て、調度どもを運び出し、なだれ出るように逃げ出しましたが、とても嘆かわしく、ただあきれるばかりでございました。
(続く)