「漢武の金日磾、我が国の人にあらざりき。人を用ゐる事は、ただその容・心に従ふべし」とのたまひて、いとど親しくのみさせ給ふを、怪しきまで思ひ合へれど、げに容身の才足らひて、見えぬ様なるを、あはれに御覧ずれば、いみじう時めかせ給ふ。道々の事・文の心をもいとなつかしうのたまはせ知らするに、ましていくばくの日数ならねど、悟り深くのみなりゆく。
「漢武帝(前漢第七代皇帝)の金日磾([前漢の匈奴系の政治家])は、我が国の人ではなかった。人を用いるかどうかは、ただその立ち振る舞い・才能によるべきである」と申されて、いっそう親しくなされました、弁少将の振る舞い才能は申し分なく、知らない者はいませんでした、唐皇帝は弁少将を重用されたので、たいそう栄えました。道々の知識・文心([文芸を愛好する心])も習い、ほんのわずかの間に、ますます深く物事を理解するようになりました。
(続く)