春宮は世を慎みて、六波羅に渡らせ給ふ。先帝は仇の為に、同じ御宿り、葦垣ばかりを隔てにて、おはしませば、主なき院の内、いとさびしくて、衛士の焚く火も影だに見えず。内には、いつしか怪しかるものなど住み付きて、ある時は、紅の袴長やかに踏み垂れて、火灯したる女、見るままに、丈は軒と等しくなりて、後には掻き消ち失するもあり。またいみじう光を放ちて、髪を前に乱しかけたる童なども見えけり。鬼殿などはかくやありけんと恐ろし。人住まで年経荒れぬる所などにこそ、かかる事もおのづからありけれ。わづかに一月二月の中に、かかるべきにはあらぬを、これかれいと怪しきわざなるべし。
春宮(伏見院の第三皇子、量仁親王)は世を憚られて、六波羅探題にお移りになられました。先帝(第九十六代後醍醐天皇)は鎌倉幕府の敵になられて、同じ宿ではございましたが、葦垣ばかりを隔てた所に、おられましたので、院の内は、とてもひっそりとして、衛士([宮廷の警護に当たった兵士])の焚く火(「御垣守 衛士の焚く火の 夜はもえ 昼は消えつつ ものをこそ思え」)も影さえ見えませんでした。内裏には、いつしか怪しいものなどが住み付いて、ある時は、紅の袴を裾長く踏みなして、火を灯した女が、見る見る、丈は軒と等しくなって、その後掻き消すように見えなくなることもございました。またまばゆいばかりの光を放って、髪を額に乱しかけた童なども現れました。鬼殿と申すものはこのようなものかと恐ろしく思ったのでございます。人が住まないままに年経り荒れた所などには、このようなことが自ずと起こるものなのでございましょう。わずかに一月二月のうちに、このようなことが起こるとも思えませんのに、あれやこれやとても不思議なことでございました。
(続く)