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「松浦宮物語」二(その5)

先帝せんたいの頼み給へりし大臣・大将軍も、この時、人にはかり失はれ、盗人ぬすびとに刺し殺されなどしつつ、かたへは失せにければ、后の御せうと尉衛きえい鄧立成とうりうせい司空しこう済陰せいいむ候長孫慶そむけい・車騎将軍上柱国楊巨源・竜武りようぶ大将軍独孤栄とつこえいと言ふ四人を宗として、うち向かはむとす。尚書しやうしよ僕射ほくや王猷わういう・左将軍陳玄英ちむぐえむえい、御輿に付きて、心ざしばかりは各々行へど、従ふつはものいくばくにあらず。まして我が本国の人、弓矢を持たず言ふかひなききはまで取り集めて、五六十人ばかり、ただ御気色の背き難く、悲しきばかりに、身を代へて進む道のさきに立ちぬ。




先帝が頼りにしていた大臣・大将軍も、この時には、人に謀られて殺され、盗人([強盗))に刺し殺されなどして、いませんでしたので、后の兄である大尉衛([秦・漢代の役職。宮門を守衛する兵士を管轄した])鄧立成・司空([後漢の三公の一])済陰([三国志時代の地名。現山東省西南・河南省東部)候長(武候=役職。の長)孫慶・車騎将軍([軍を率いる将軍位の一])上柱国じやうちうこく([将軍職の一])楊巨源やうきよげん(中唐の詩人らしい)・竜武大将軍独孤栄という四人を頭として、敵に立ち向かうことになりました。尚書([前漢代の上奏を取り扱う役職])左僕射([尚書令の次官])王猷(清代の詩人らしい)・左将軍陳玄英が、輿に付いて、臣従の心ざしのほどを各々申し上げましたが、従う兵は多くありませんでした。まして我が日本の弁少将は、弓矢も持たず戦の役に立ちそうにもありませんでしたがそれらの者まで集めて、五六十人ほどは、后の意向に背き難く、悲しむ者ばかりが、我が身に代えて先頭に立ちました。


続く


by santalab | 2014-10-29 20:43 | 松浦宮物語

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