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かくしつつ、悩み増さりて、五月の晦日つごもり頃に、はかなくなりにけり。姫君、「侍従が思ひ、さこそあるらめ」と、乳母の歎きの上うへに、侍従が心苦しさ思ひ遣り給ふ。侍従は、母の悲しみの中に、姫君の御つれづれを歎きつつ、さて後々の業わざも細々こまごまと営みけり。
やがて、乳母は病重らせて、五月の末日頃に亡くなりました。姫君は、「侍従の悲しみは、いかばかりか」と、乳母の悲しみに加えて、侍従の心苦しさを思い遣るのでした。侍従は、母を失った悲しみの中にも、姫君のことを悲しんで、乳母の弔いを細々と営みました。
(続く)
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