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「増鏡」久米の佐良山(その29)

源中納言具行ともゆきも同じ頃あづまて行く。数多あまたの中に取り分きて重かるべく聞こゆるは、様異なる罪に当たるべきにやあらん。内にさぶらひし勾当こうたうの内侍は、経朝つねとも三位さんみの娘なりき。早うより、御門睦ましく思し召して、姫宮などうで奉りしを、その後、この中納言いまだ下臈げらふなりし時より許し賜はせて、この年来、二つなき者に思ひ交はして過ぐしつるに、かく様々に付けて浅ましき世を、並べてにやは。日に添へて歎きしづみながらも、同じ都にありと聞くほどは、吹き交ふ風の便りにも、さすが言問ふ慰めもありつるを、つひにさるべき事とは、人のうへを見聞くに付けても、思ひまうけながら、なほ今はと聞く心地、例へん方なし。この春、君の都別れ給ひしに、そこら尽きぬと思ひし涙も、げに残りありけりと、今一入ひとしほ身も流れ出でぬべく思ゆ。中納言は、『ものにもがなや』と悔しうはしたなき事のみぞ、底には、千々ちぢに砕くめれど、女々しう人に見えじと思ひかへしつつ、つれなく作りて、思ひ入りぬる様なり。去年こぞの冬頃、数多あまた聞こえしに、

ながらへて 身は徒らに 初霜の おくかた知らぬ 世にもふるかな

今ははや いかになりぬる 憂き身ぞと 同じ世にだに とふ人も無し




源中納言具行(北畠具行=源具行)も同じ頃東(鎌倉)に連れられて行かれることになりました。数多くの中にあってとりわけ重罪と聞こえましたが、何か特別の訳があったのでございましょうか。内裏に出仕されておりました勾当の内侍は、経朝の三位(世尊寺経朝)の娘でございました。若い頃より、帝(第九十六代後醍醐院)は親しみを持たれて、姫宮がございました、その後、この中納言(北畠具行)がまだいまだ下臈([身分が低い者])であった時より下されて、長年、二つとなき者に思われて過ごされておりましたが、様々に付けて浅ましい世が、ほかにございましたでしょうか。日に添えて悲しみに沈みながらも、同じ都にあると聞くほどは、吹く風の便りに、心を慰めておられましたが、遂に東国に下ることになったと、人の噂を聞くに付けても、思い設けたこととはいえ、今になって聞く心地は、申しようもないものでございました。この春、君(第九十六代後醍醐院)が都を離れられて、尽きることがないと思われた涙でしたが、まだ残っていたのかと思われるほどに、さらに流れ出るのでございました。中納言(北畠具行)は、『どうしてこのわたしが』と悔しくも見苦しくも、心の内は、千々に砕かれておりましたが、女々しく思われたくないと、気にせぬ風に歌を作っては、心を鎮めておりました。去年の冬頃、多くの歌を詠まれましたが、

命を永らえて、我が身はむなしくなろうとしている。初霜にさえ濡れたことのない世を経て来たというのに。

今はどうなるとも知れぬ憂き身となったが、同じ世にいたというのに、わたしのことを心配する人もいないとは。


続く


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by santalab | 2014-11-09 13:35 | 増鏡 | Comments(0)

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