万につけて、事の気色を見るに、行く末遠くはあるまじかんめりと悟りぬ。預かりがほのめかししも、情けありて思ひ知らすれば、同じうはと思ひて、またの日『頭下ろさんとなん思ふ』と言へば、『いと哀れなる事にこそ。東の聞こえやいかがと思ひ給ふれど、なんでう事かは』とて、許しつ。かく言ふは、六月の十九日なり。かの事は今日なんめりと、気色見知りぬ。思ひ設けながらも、なほ例なかりける報ひのほど、いかが浅くは思えん。
消えかかる 露の命の 果ては見つ さても東の 末ぞゆかしき
なほも、思ふ心のあるなんめりと、憎き口付きなりかし。
何事につけて、様子を見るに、具行(北畠具行)は余命長くないことを悟りました。預かり([罪人などを預かって監視したり世話をしたりする者])がそれとなくほのめかすのも、情けがあるものと思われて、同じことならばと思い、次の日『頭を下ろして出家したい』と申せば、預かり(佐々木道誉)は『哀れなことです。東の意向が気になりますが、よろしいでしょう』と、許しました。具行が出家したのは、元弘二年(1332)六月十九日のことでございました。具行は今日までの命だろうと、感じたのでございます。思われていたことではございましたが、例のないほどの報いが、浅いものとは思えなかったのでございます。
我がはかない命が露のように消えようとしていることを知る。それでも東国が滅びる様を見ることができないことを残念に思う。
なおも、思うところがあったのでしょう、恨み言を申すほかございませんでした。
(続く)