中宮も位去り給ひて、大宮女院とぞ聞こゆる。安らかに、常は、一つ御車などにて、ただ人のやうに、華やかなる事どものみ隙なく、万あらまほしき御有様なり。院の上、石清水の社に詣でさせ給ひて、日来おはしませば、世の人残りなく仕うまつれり。さるべき事とはいひながら、なほいみじう、御心にも、一年の事思し出でられて、殊に畏り聞こえさせ給ふべし。御歌数多遊ばして、宝殿に籠めさせ給ひし中に、
石清水 木がくれたりし いにしへを 思ひ出づれば すむ心かな
中宮(第八十八代後嵯峨天皇中宮、西園寺姞子)も位を去られて、大宮女院と申されました。安らかに、いつも後嵯峨院と同じ車で、普通のお方のようでございましたが、華やかさばかりはお変わりなく、万事望ましくございました。院の上(後嵯峨院)が、石清水の社(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)に詣でられて、度々になりますれば、世の人も残りなくお供いたしました。いつかは位を去られることとは申せ、なおもたいそう、御心にも、この一年の事が思い出されて、とりわけ畏まり祈念なさいました。歌を数多く詠まれて、宝殿([本殿])に納められましたがその中に、
この石清水の神木がお授けくださった帝の位にあった昔を思い出している。今は晴れ晴れとした気持ちだ。
(続く)