その中に、季房の宰相入道のみぞ、預かりなりける者の、情けなき心ばへやありけん、東のひしめきの紛れに失いてければ、兄の中納言藤房は返り上れるにつけても、父の大納言、母の尼上など歎き尽きせず、胸空かぬ心地してけり。四条の中納言隆資と言ふも、頭下ろしたりし、また髪生ほしぬ。もとより塵を出づるにはあらず、敵のために身を隠さんとて、仮初めに剃りしばかりなれば、今はたさらに眉を開く時になりて、男になれらん、何の憚りかあらむとぞ、同じ心なるどち言ひ合はせける。天台座主にていませし法親王だにかくおはしませば、まいてとぞ。誰にありけん、その頃聞きし。
すみぞめの 色をもかへつ 月草の 移れば変はる 花のころもに
その中にあって、季房宰相入道(万里小路季房)ばかりが、預かり([人の身柄や物事を引き受けて守る者])の者に、情けがなかったのか、東国の動乱に紛れて誅殺されたので、兄である中納言(万里小路藤房)は無事京に返り上りましたが、父である大納言(万里小路宣房)、母の尼上の嘆きは尽きず、心は晴れませんでした。四条中納言隆資(四条隆資)と申す者も、髪を下ろしておりましたが、また還俗しました。もとより俗世を離れるつもりもなく、敵から身を隠すために、一時出家しただけのことでしたので、今また眉を開く([心中の心配や憂いがなくなって安心する])時になって、男に戻るのに、何の遠慮がいるものかと、同じ思いの者たちと申し合わせてのことでございました。天台座主でございました法親王(第九十六代後醍醐天皇の皇子、護良親王。尊雲法親王=大塔宮)でさえ還俗されたのですから、当然のことでございましょう。さてどなたでございましたでしょうか、その頃聞いた歌がございます。
墨染の衣を着ていても、月や草のように時が移れば、いつか花の色に変わるものなのです。(四条隆資の歌です。隆資は足利軍と戦って討ち死にしました。)
(終)