宰相、「せめて聞こえさすれば、賢さに、今は思ひ給へ止みなむ。
死ぬと言はば 例にもせむ 物をのみ 思ふ命は 君がまにまに
あが君や、『後の心見はあり』と言ふとも、今日の御返り言は、つゆをも見せ給へ」とあれば、兵衛、「なほ、こたみばかりは、御返り給へ。物のあはれ知らぬやうなり。『兵衛が事、君に聞こし召す』と思せ」。
貴宮、「さらば、君の事聞くと、怪しからぬ人にやならむ」とのたまへど、書き付け給ふ。
苔生ふる 岩に千代経る 命をば 黄なる泉の 水ぞ知るらむ
とて賜ふ。宰相、見給ひて、「限りなくうれし」と思す。
源宰相(源実忠)からの文には、「ほんの少しの返事さえもらえると、ありがたいことです、この頃はあなたを想うあまり病気になってしまいました。
もし死んでしまったなら、あなたを想うあまりのことだと諦めましょう、わたしがどうなろうとも、わたしの命を、あなたの心のままに任せたく。
わたしの大切な貴宮よ、『死んだ後も魂は残る』と言いますが、今日のこの文の返事を少しでももらえませんか」と書いてあったので、兵衛佐(貴宮の兄、源
顕澄)は、「何はともあれ、今回だけは、返事を返さなければ情けを知らない者だと思われますよ。『わたしは返事を、源宰相に伝えたい』ことをわかってほしい」。貴宮は、「それでは、源宰相の言うことさえ聞けば、道理に外れないということですか」と口答えしましたが、結局返事を書きました。
苔が生えた岩に千年もの間宿る命があったとしても、黄泉(あの世)のことを知ることができましょうか。いいえ、そんなことはないでしょう。ですから「後にわたしの心の内を知るはずです」なんてとても信じられません。
と書いて兵衛佐に渡しました。源宰相は、この返事を見て、「限りなくうれしい」と思いました(源宰相はかなり変わっている人なのです)。
(続く)