少年の春は、惜しめども留まらぬものなりければ、弥生の二十日余りにもなりぬ。御前の木立、何となく青み渡れる中に、中島の藤は、「松にとのみも」思はず咲きかかりて、山ほととぎす待ち顔なるに、池の汀の八重山吹は、「井出の渡り」にやと見えたり。「光源氏の、『身も投げつべき』とのたまひけんも、かくや」と、独り見給ふも飽かねば、侍童の、おかしげなる、小さきして、一枝づつ折らせ給ひて、源氏の宮の御方に持て参り給ひければ、御前には、中納言・中将など言ふ人々、絵描き、色取りなどせさせ給ひて、宮は御手習ひなどせさせ給ひて、添ひ臥してぞおはしける。「この花どもの夕映へは、常よりもおかしく候ふものかな。春宮の、『盛りには、必ず見せよ』とのたまはせしものを。いかで、一枝御覧ぜさせてしがな」とて、うち置き給へるを、宮、少し起き上がり給ひて、見遣こせ給へる御目見・面付きなどの美しさは、花の色々にも、こよなふ優り給へるを、例の胸騒ぎて、花には目も留まらず、つくづくと守らせ給ふ。「花こそ春の」と、取り分きて山吹を取り給へる御手付きなども、世に知らず愛しきを、人目も知らず、我が御身に引き添へましう思さるる様ぞ、いみじきや。「くちなしにしも、咲き初めにけん契りぞ、口惜しき。心の中、いかに苦しからん」とのたまへば、中納言の君、「さるは、言の葉も繁う侍るものを」と言ふ。
青春期は、過ぎ行く時間さえ惜しく思われるものですが時は止まらず、弥生([陰暦三月])も二十日過ぎとなりました。御前の木立は、訳もなく青々と茂り、中島([寝殿造りの庭園の池にこしらえた島])の藤は、「松にとのみも」(『 夏にこそ 咲きかかりけれ 藤の花 松にとのみも 思ひけるかな』=『夏になって藤の花が満開である。藤は松の木に寄りかかるものと思っていたが』。『拾遺和歌集』)とばかり咲き誇り、山ほととぎすの待ち遠しく思っていたかのような鳴き声が聞こえて、池の汀の八重山吹([バラ目バラ科ヤマブキ属])は、「井出の渡り」(『色も香も なつかしきかな かわずなく 井出の渡りの 山吹の花』。『小町集』。井出の渡り=現京都府綴喜郡井出町を流れる木津川水系玉川の渡り)と思えるほどでした。狭衣は「光源氏(『源氏物語』)が、『身も投げつべき』(『沈みしも 忘れぬものを こりずまに 身も投げつべき 宿の藤波』=『須磨での嘆きも忘れぬうちに、まだ懲りずに、藤の花咲くこの宿の瀬に身を投げてしまいたい』。『若菜上』)と詠んだのも、このような景色だったのだろう」と、独り見飽きることなく眺めていました、侍童([貴人のそばに付き添う少年])の、かわいらしく、幼い者に、藤の花を一枝折らせて源氏の宮の方へ持て参れば、御前では、中納言・中将たち(源氏の宮の女房)が、絵を描き、彩り([彩色])などして、源氏の宮は手習い([習字])をされながら、ともにくつろいでおいででした。狭衣は「この花の夕映え([夕方の薄明かりに物の姿がくっきり浮かんで見える、その姿かたち])には、とりわけ趣きがありませんか。春宮が、『花の盛りには、必ずわたしに見せよ』と申されておられますので。どうか、この一枝をご覧じさせていただけますよう」と申して、藤の一枝を置くと、源氏の宮は、少し面を上げられて、狭衣に目を遣るその目元・顔付きの美しさは、花の彩りよりも、さらに優っておられました、狭衣はいつものように胸騒ぎ、花には目も遣らず、 源氏の宮を見つめるばかりでした。「花こそ春の」(本歌不明)と申されて、山吹を手に取られるその手付きも、世にないほどに美しく、狭衣は人目を気にすることなく、その手を我が手に取ってみたいものだと、一途に思うのでした。「くちなし色([赤みを帯びた濃い黄色])の山吹ではないが、口にも出せないこの想いが、残念でならない。わたしの心の内の、どれほど苦しいことか」と申せば、中納言の君(源氏の宮の女房)は、「口なしとは申しましても、山吹の歌は多くございましてよ」と答えました。
(続く)