大人び給へるままには、あまり苦しう、憂きは、頼まれぬべき心地のみして、思さるる折々もあるべし。世の中の人も、うち見奉るは、怪しうこの世のものとも思ひ聞こえ給はず、「これや、この世の末のために現れさせ給へる、第十六の釈迦牟尼仏」とて、手を擦り涙をこぼす多かり。我が身の憂へも、思ふ事なき心地すれば、まして理、親たちの心ざしには、言ひ知らず、あるまじき事をし出で給ふとも、この御心には少し苦しく思されん事は、露ばかりにても違へ給ふべくもなけれど、世の男のやうに、押し並べて、濫りがはしく淡々しき御心ばえぞ、なかりける。夢ばかりもあはれを掛け給はん「蔭の小草」などをも、思し心に思し放つべくもなかりけれど、いかなりけるにか、この世は、仮初めに、「世皆不牢固」とのみ、思さるるは、げに、世の人の、言種に、思ひ聞こえさせたるやうに、仏の現れさせ給へるにや。人よりは、物すさまじげに、口惜しき方に思ひ聞こえさせたる人もあるべし。
大人びるにつれ、狭衣は心苦しく、悲しくて、世の中をむなしく、思うことが増さるようになりました。世の中の人は、狭衣を見ては、不思議がりこの世のものとも思えず、「かれは、世末に現れた、第十六(『法華経』の「如来寿量品第十六」)に登場する釈迦牟尼仏(釈迦)だ」と言って、手を擦り涙をこぼす者が多くいました。狭衣は我が身の悲しみも、面に出せないような気がして、ましてや道理とはいえ、両親たちの愛情は、言葉にできないほどでしたので、源氏の宮への想いを知られたなら、きっとつらく思われることは、間違いのないことに思えました、けれど世の男のように、一言で申せば、浮ついた気持ちを持つことは、ありませんでした。たとえ夢ばかりに悲しみを寄せて「蔭の小草」(『み山木の 陰の小草は 我なれや 露しげけれど 知る人もなき』=『山の木陰の小草のように人目にも付かず悲しむわたしです。涙はとめどなく流していることを、誰も知らないのだから』。『新勅撰和歌集』)と、思い悩んで想いを消すことはできませんでした、どうしてなのか、この世は、仮の住まいで、「世皆不牢固」(『妙法蓮華経』の「隨喜功徳品第十八」にある文。「世の中に不常のものはなく、はかないものである」)と、思うほかありませんでした、まこと、世の人が、噂にして、言うように、仏の化身のようでした。他人に似ず、女に情けをかけることがなかったので、残念に思う女もいました。
(続く)