その同じ頃、安嘉門院、丹後の天の橋立御覧じにとておはします。それより但馬の城崎の出湯召しに、下らせ給ふ。為家ためいへの大納言、光成の三位など、御供仕うまつらる。この女院の御有様ぞ、また、いといみじう、来し方行く末の例にもなりぬべく、万の事、御心のままに、好ましく物し給ひける。童舞、白拍子、田楽などいふこと好ませ給ひて、古の郁芳門院にも、やや勝りてぞおはします。候ふ人々も、常にうち解けず、衣の色あざやかに、華々と、今めかしき院の内なり。また、安養寿院といひて、山の峰なる御堂には、常に立て籠もらせ給ひて、御観法などあるには、人の参る事も容易くなし。鳴子をかけて引かせ給ひてぞ、おのづから、人をも召しける。
その同じ頃、安嘉門院(後高倉院の王女、邦子内親王。第八十六代後堀河天皇の准母)が、丹後の天橋立(現京都府宮津市)をご覧になられに出かけられました。それより但馬の城崎(現兵庫県城崎市)の出湯を召しに、下られました。為家大納言(藤原為家)、光成の三位(藤原光成)などが、お供しました。安嘉門院の有様は、また、たいそうごりっぱで、過去未来の例ともなるほどでございました、万事、心のままに、なされました。童舞、白拍子([平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一])、田楽([平安時代中期に成立した日本の伝統芸能])などと申すものを好まれて、古代の郁芳門院(第七十二代白河天皇の第一皇女、媞子内親王)にも、優っておられました。伺候する女房どもにも、馴れ馴れしくはなさらず、衣の色はあざやかで、華々しく、今めかしうございました。また、安養寿院と申して、山の峰にある御堂に、常に立て籠もられておられましたが、観法([真理と現象を心 のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法])などに、人が参るにも容易くない所でございました。鳴子を引かれて、用のある時には、人を呼ばれておられました。
(続く)