昔、天竺に、鬼子母という鬼あり。大阿修羅王が妻なり。五百人の子を持ち、これを養はんとて、者の命を絶つ事、恒河沙の如し。殊に親の愛する子を好み、取り喰ふ罪尽くし難し。仏、これを悲しみ思し召し、いかがしてこの殺生を止めんとて、智慧第一の迦葉尊者に告げ給ふ。迦葉、仏に申させ給ひけるは、「かれが五百人持ちて候ふ子の中に、殊に自愛を御隠し候ひて、御覧ぜられ候へ」と、御申しありければ、「しかるべし」とて、五百人の乙子取り、御鉢の下に隠し給ふ。父母の鬼、これを尋ねけり。神通自在のものなりければ、上は非想非非想天、六欲天の雲の上、下は九山、八海、竜宮、奈落の底までも、曇りなく尋ねけれども、なかりけり。鬼ども、力を失ひ、大地に伏し転び、泣き悲しみけるぞ、愚かなる。
昔、天竺(インド)に、鬼子母(鬼子母神。ハーリティー)という鬼がいました。大阿修羅王の妻でした(鬼子母神は、毘沙門天の部下であった般闍迦=パンチーカ。の妻だったらしいが)。五百人の子を持ち、これを養うために、者の命を絶つこと、数知れぬほど(恒河沙=無限)でした。とりわけ親が愛する子を好んで、取って喰うその罪が尽きることがありません。仏(釈迦)は、これを悲しんで、なんとかして鬼子母の殺生を止めようと、智慧第一の迦葉尊者([釈迦十大弟子の一])に相談しました。迦葉が、仏に申すには、「鬼子母の五百人の子の中で、とりわけかわいがっている者を隠して、みましょう」と、申したので、「そうしよう」と申して、五百人の中の乙子([末子])を取って、鉢の下に隠しました。父母の鬼は、この子(愛奴児)を探しました。神通自在でしたので、上は非想天非非想天([無色界の第四天で、三界の最頂部])、六欲天([三界のうちの欲界に属する六つの天])の雲の上、下は九山([須弥山を順に取り囲む九つの山])、八海([須弥山を取り囲む八つの海])、竜宮([深い海の底にあって竜王が住んでいるといわれる宮殿])、奈落の底([地獄の底])までも、隙なく探しましたが、どこにもいませんでした。鬼は、途方に暮れて、大地に伏して、泣き悲しむばかりで、どうすることもできませんでした。
(続く)