今宵二位殿、今出川へ罷んで給ひて、手車の宣旨許り給ふ。御送りには御子の公衡の中納言。御甥の通重の左衛門の督など、殿上人ども数多なり。縫殿の陣より出で給ふ気色、いとよそほし。まことや、御入内の夜の御使ひ、勾当の内侍参れりし禄に、表着・唐衣を賜はる。御消息の御使ひに参られし上の人も、女の装束被きながら帰り参りて、殿上の口に落とし捨つ。殿司ぞ取る習ひなりける。後朝の御使ひには、公実の中将なりし。公衡の中納言対面して、勧盃の後、これも女の装束被けらる。
その夜二位殿(中院顕子。西園寺鏱子の生母)が、今出川に参られて、手車([屋形に車輪をつけた車で、前後に突き出ている轅を人の手で引くもの。これに乗って内裏に出入りするには、輦の宣旨による勅許が必要であった])の宣旨がございました。見送りには二位殿の子である公衡中納言(西園寺公衡)でございました。甥の通重左衛門督(中院通重)など、殿上人が数多く供をいたしました。縫殿([天皇および賞賜の衣服を裁縫し、 また、女官の考課をつかさどった役所])の陣より出られる姿は、たいそう美しいものでございました。定かではございませんが、入内の夜のお使いに、勾当内侍が参られた禄に、表着([衣を重ねて着るとき、一番上に着る衣])・唐衣([装束の一番上に着用する上半身だけの短衣])を賜られたということでございます。消息([文])のお使いに参られた上(第九十二代伏見天皇)のお使いにも、女の装束を賜られて帰り、殿上の口に落とされました。殿司([後宮十二司の一つ。後宮の 清掃・灯火・薪炭などをつかさどった役所。また、その女官。職員はすべて女性])が取る習わしでございました。後朝([後朝の文]=[平安時代の貴族の男女が一夜を共にした後、男性から女性に宛てて送った恋文])のお使いは、公実中将でございました。公衡中納言(西園寺公衡)が対面されて、勧盃の後、同じく女の装束を賜りました。
(続く)