ほのぼのと明くるほどに、内・春宮、御車にて忍びて帰らせ給ひて、昼つ方ぞ、またさらに春日殿へなる。大方、雲の上穢れぬれば、いかがにて、中宮の昼の御座へ腰輿寄せて、兵衛の陣より出でさせ給ふ。春宮は糸毛の御車にて、また常盤井殿へ渡らせ給ふ。中宮も春日殿へ行啓なる。世の中揺すり騒ぐ様、言の葉もなし。
ほのぼのと夜が明ける頃、内(第九十二代伏見天皇)・春宮(胤仁親王)は、車で忍び内裏へお帰りになられて、昼頃、また続いて春日殿へ移られました。ここかしこ、雲の上([宮中])は穢れておりましたので、いかがせんと、中宮(西園寺鏱子)の昼の御座([昼間の御座])に腰輿([手輿]=[前後二人で轅を手で腰の辺りに持ち添えて運ぶ乗り物])を寄せられて、兵衛の陣よりお出になられました。春宮は糸毛の車([牛車の屋形の表を色糸で飾ったもの。主に女性用])で、また常盤井殿(西園寺実氏の別荘)に渡られました。中宮も春日殿へ行啓になられました。世の中の騒ぎは、言葉もないほどでございました。
(続く)