七月ばかり、風荒らかに吹き、稲妻怪しからずひらめきて、神鳴り騒ぐ、常よりも恐ろしき夜、はかばかしき人もなければ、上下いとあわたたしく、心細う思し惑ふ。法皇は、亀山殿に過ぎにし頃よりおはしませば、近きあたりにだに人の気配も聞こえず。哀れなるほどの御有様にて、墨を摺りたらむやうなる空の気色の疎ましげなるを、眺めさせ給ひなどするに、例の中将、濡ち参りて、侍めく者一、二人、弓など持たせて、「御宿直仕り侍るべし。某も、侍の方に侍らん」など申すにぞ、いささか頼もしくて、人々慰め給ふ。おはします母屋に当たれる廂の勾欄に押しかかりて、香染めのなよらかなる狩衣に、薄色の指貫うちふくだめる気色にて、しめじめと物語しつつ、いたう深け行くまで、つくづくと候ひ給へば、御簾の中にも心遣ひして、はかなき答へなど聞こゆ。
七月ばかりのこと、風が激しく吹いて、稲妻がひっきりなしに光り、雷が鳴り響き、いつにもまして恐ろしい夜、頼りになる人もなく、上下ともにたいそう騒いで、姫宮はたいそう心細く思われておりました。法皇(第九十代亀山院)は、亀山殿(現京都市右京区にある天龍寺)に以前よりおられたので、近くには人の気配もございませんでした。哀れなほどでございました、まるで墨を摺ったような空を疎ましげに、眺めておられると、いつものように中将が、雨に濡れて参りました、侍のような者一、二人に、弓など持たせて、「宿直に参りました。わたしも、侍所([侍の詰所])におりましょう」など申したので、多少なりとも頼もしくて、女房たちは胸を撫で下ろしました。中将は姫宮がおられる母屋の廂の勾欄([高欄])にもたれて、香染め([黄色味を帯びた薄茶色])の柔らかな狩衣に、薄色([表裏ともに薄紫色])の指貫([袴の一])は雨に萎れておりましたが、静かに話をしながら、夜が更け行くままに、その場におりましたので、御簾の内におられる姫宮も心遣いされて、わずかに返事などをされておられました。
(続く)