さてしもあるべきにあらざれば、泣く泣く母は、曽我に下り、虎は、大磯に帰らんとす。別当も五朗に別るる心して、「さても、この度の御仏事、あり難くこそ候へ。過去幽霊、定めて正覚なり給ふべし。また、大磯の客人の御心ざしこそ、世に優れては候へ。構へて構へて、怠らず弔ひ給へ」と仰せられければ、虎も、涙を抑へて、「仏事と承り候へば、まことに恥ぢ入る心し、飽かぬ別れの道、いつかは怠り候はん」と申しければ、「数多の宝を積まんより、まことの心ざしにはしかずと承る。
いつまでも留まっているわけには参りませんでしたので、泣く泣く母は、曽我(現神奈川県小田原市あたり)に下り、虎御前(大磯の遊女で祐成の妾)は、大磯(現神奈川県中郡大磯町)に帰ることにしました。別当(箱根別当。行実僧正)も五朗(時致)と別れるような気がして、「さても、この度の仏事は、りっぱでございましたな。過去幽霊([死者の魂])も、きっと正覚([仏の悟り])を得たことでございましょう。また、大磯の客人(虎御前)の心ざしは、世に優れておられます。勤行に励まれて、怠りなく弔いなさいませ」と申せば、虎御前も涙を抑えて、「仏事などと申されますれば、とても満足でなくお恥ずかしいことでございますが、飽かぬままの別れの道でございますれば、怠ることはございません」と申しました。別当は「多くの宝物を積むよりも、心からの祈りが大切だと聞いております。
(続く)