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「曽我物語」惟喬・惟仁の位争ひの事(その4)

しかれば、惟仁これひと親王しんわう御位おんくらゐに定まり、東宮に立たせ給ひけり。しかるに、延暦寺の大衆だいしゆ僉議せんぎにも、「恵亮ゑりやうなづきを砕きしかば、次弟じていくらゐに就き、そんゑ剣を振り給へば、菅丞かんしやう霊を垂れ給ふ」とぞまうしける。これに依りて、惟喬これたかの御持僧ぢそう真済しんぜい僧正そうじやうは、思ひ死ににぞ失せ給ひたる。御子みこも、都へ御かへりなくして、比叡山ひえいさんの麓小野をのと言ふ所に閉ぢ籠らせ給ひける。頃は神無月すゑつ方、雪げの空の嵐にさえ、時雨るる雲の絶え間なく、都に行きふ人も稀なりけり。いはんや小野の御住まひ、思ひ遣られてあはれなり。




こうして、惟仁親王が、帝位を継ぐことに定まり、東宮に立たれました。そして、延暦寺の大衆([僧])の僉議にも、「恵亮が脳を砕けば、次弟(惟仁親王)位に就き、そんゑ(尊意そんい。第十三代天台座主)が剣を振れば、菅丞(菅原道真)の霊が顕れる」と申しました。そして、惟喬親王の持僧真済僧正は、嘆きのあまり亡くなりました。惟喬親王も、都へ帰ることなく、比叡山の麓小野(現滋賀県大津市小野)という所に幽居されました。頃は神無月([陰暦十月])の末頃、雪混じりの空の嵐にも、時雨れる雲は絶え間なく、都に行き交う人も稀でした。申すまでもなく小野の住まいの侘しさは、思い遣られて哀れでした。


続く


by santalab | 2015-02-16 08:43 | 曽我物語

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