さても、両三箇国の人々は、各々奥野に入り、方々より勢子を入れて、野干を狩りけるほどに、七日が内に、猪六百、鹿千頭、熊三十七、鼯鼠三百、その外、雉、山鳥、猿、兎、貉、狐、狸、豺、大かめの類に至るまで、以上その数二千七百余りぞ、留められける。今は、さのみ野干を滅ぼして、何にかせんとて、各々柏峠にぞ打ち上がり、このほどの雑掌は、伊東一人して、暇なかりければ、「持たせたる酒、人々の見参に入れざるこそ、本意なけれ。いざや、山陣取りて、頼朝に、今一献勧め奉らん」。「しかるべし」とて、宗との人々五百余人、峠に下り居て、用意す。
そして、両三箇国(相模・駿河・伊豆国)の人々は、各々奥野に入り、方々より勢子([狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手のいる方向に追い込んだりする役割の者])を入れて、野干([キツネ])狩りをしました、七日間に、猪六百、鹿千頭、熊三十七、鼯鼠([リス科])三百、そのほか、雉、山鳥、猿、兎、貉([タヌキ])、狐、狸、豺([狼])、大かめ(狼?)の類にいたるまで、以上その数二千七百余りを、仕留めました。これ以上、野干を殺しても、つまらないと、各々柏峠(現静岡県伊東市と伊豆市を結ぶ峠)に打ち上がりました、雑掌([接待の準備をする者])は、伊東(伊東祐親)一人でしたので、暇もありませんでした、「持って参った酒を、人々に振る舞わなければ、甲斐はない。さあ、山に陣を取り、頼朝に、一献勧めようではないか」。「そういたしましょう」と答えて、主だった人々五百余人が、峠に下りて、準備しました。
(続く)