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右大臣殿の御方、
年ごとに 会ふと見ながら 天の川 幾世渡ると 知る人のなさ
右大臣(藤原忠雅ただまさ)の御方(左大将藤原正頼まさより
毎年、織姫と彦星は会うといいますが、この天の川を幾度渡ったと、知る人はおりません。
(続く)
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