滝口、堪らぬ男にて、「首を捕るか、捕らるるか、力は、外にもあらばこそ。いざや、老いの御肴に、力比べの腕相撲一番」と言ふままに、座敷を立ち、直垂を脱ぎ、「何ほどの事の候ふべき。しや肋骨二三枚、掴み破りて、捨つべきものを」とて、つつと出でけり。弥五朗も、「心得たり。物々し。力拳の堪へんほどは、命こそ限りよ」と言ひ、座敷を立つ。一座の人々、これを見て、あはや、事こそ出で来ぬと見るほどに、近くにありける合沢、申す様、「余り囃し、滝口殿。相撲は、小童、冠者ばらに、先づ取らせて、取り上げたるこそ、面白けれ。大人げなし、滝口殿。止まり給へ」と引き据ゑたり。
滝口は、逸りの男でしたので、「首を捕るか、捕られるか、力持ちは、お主ばかりでない。どうだ、老いの肴に、力比べの腕相撲を一番」と申すままに、座敷を立ち、直垂([鎧の下に着る着物])を脱ぎ、「相手にもなるまい。やつの肋骨二三本、掴み追って、捨ててやろう」と申して、つつと前に出ようとしました。弥五朗も、「待っておったぞ。小賢しい奴め。わしの力拳を防げないときは、命の限りと思え」と申して、座敷を立ちました。一座の人々、これを見て、ああ、事が起こったと思うほどに、合沢は滝口に近く寄り、申すには、「しばし黙らぬか、滝口殿。相撲は、小童、冠者どもに、まず取らせて、場を盛り上げてから、取るもの。逸るのは大人げないぞ、滝口殿。しばらくじっとしておれ」と申して止めました。
(続く)