十郎は、「足柄を越えて行かん」と言ふ。五朗は、「箱根を越えん」と言ふ。いはれあり。この三四年、別当の呼び給へども、男になりける面目なさに、見参に入らず、ついでに打ち寄りて、御目に掛かるべし、最後の暇をも申さんとて参りたりと思し召さば、聖教の一巻、陀羅尼の一返なりとも、弔ひ給ふべき善知識なり。その上、師の恩を重くすれば、法に預かる例あり。
十郎(曽我祐成)は、「足柄(現神奈川・静岡県境にある足柄峠)を越えて行こう」と言いました。五朗(曽我時致)は、「箱根(現神奈川県と静岡県の境、箱根外輪山の南端にある峠)を越えましょう」と言いました。五朗(時致)には訳がありました。この三四年、別当((箱根別当。行実僧正)から訪ねられよと誘いがありましたが、男になった面目のなさに、会うこともありませんでした、このついでに立ち寄って、お目に掛かり、最後の別れを申すために参ろうと思っていました、聖教([仏教の経典の尊称])の一巻、陀羅尼([梵文を翻訳しないままで唱えるもので、不思議な力をもつものと信じられる比較的長文の呪文])の一返なりとも、弔う([死者のために葬儀・供養・法要を営む])善知識([人を仏道へ導く機縁となるもの])と思ってのことでした。その上、師の恩を大切にすれば、仏法の恩恵にあずかるという例がありました。
(続く)