阿闍梨は、母を宥め兼ね、斯様ならんと思ひなば、中々申し出だすまじかりつるものを、または、母暇申さずとも、思ひ定むべかりつる事を、心弱くて、斯様に憂き目を見る事よ。惜しみ給ふも、理なり。ただ一人ある子なり。月とも星とも、我をならでは、頼み給はぬ御事なり。一日片時も、見奉らぬだに、心許なくて、隙なき行法の間は、心ならず見奉る事なし。遅き時は、杖にすがり来たり給ひて、ひざまづき、後ろに立ち、夏は扇を使ひ、冬は温むる様にしたため給ふ。「これ、しかるべからず」と申せば、「幾程なき自らが心に任せてくれよ」と仰せければ、上人も、憐れみありて、「心に任せよ」と、御慈悲あるに依つて、片時も離れ給ふ事なし。
証空阿闍梨は、母を宥め兼ねて、こういうことになるのなら、話さなければよかった、また、母に別れを告げなくとも、決心したことであればと思いながらも、心弱くて、こうしてつらい目を見ることになりました。思えば母がわたしを惜しむのも、当然のことでした。ただ一人の子でした。月とも星とも、証空阿闍梨以外に、頼りにする者はありませんでした。一日片時さえも、見なければ、心配しました、絶え間ない行法([仏道を修行すること])の間は、心ならずも会うことができませんでした。帰りが遅い時には、母は杖にすがり寺を訪ね来て、ひざまずき、証空の後ろに立ち、夏は扇を使い、冬は温めるための用意をしました。証空が「そのようなことを、してはなりません」と申せば、「先の短いわたしの思うようにさせておくれ」と申すので、智興上人も、憐れみを覚えて、「思うようになされよ」と、慈悲をかけたので、母は片時も証空から離れることはありませんでした。
(続く)