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「曽我物語」千草の花見し事(その12)

后、「さらば、干死ににせん」とて、食事を止め給ひしかば、力なく、大臣におほせ付けて、御腹を裂かれにけり。その半ばに、后仰せられけるは、『太子の誕生たんじやうは如何に』と問はせ給ふ。『御つつがなし』とまうせば、喜び給ふ色見えて、打ちみたるまま、御年十九にて、はかなくなり給ひぬ。さて、この太子、御くらゐに就き給ひしが、母の御心ざしを悲しみ、御菩提の為、三年胎内にして苦しめ奉りし日数ひかず千日に当てて、千間せんげん御堂みだうを建て給ひけり。今の慈恩寺じおんじこれなり。日本につぽんには、西の寺なり。さればにや、后すなは成仏じやうぶつし給ふ時に、こん蓮台をかたぶけ、来迎らいかうし給ふ。そのしこんになぞらへて、ふぢおほく植ゑられたり。さてこそ、藤の名所には入りたりけれ。母親の慈悲は、斯様かやうにぞさうらへ」。




后は、「ならば、飢え死にします」と申して、食事を止めたので、仕方なく、大臣に命じて、后の腹を裂かせました。その途中で、后が申すには、『太子は誕生しましたか』と訊ねました。『無事生まれました』と申せば、よろこびの色を顕わして、微笑んだまま、御年十九で、亡くなりました。さて、この太子が、帝位に就いて、母の心ざしを悲しみ、菩提を弔うため、三年胎内で母を苦しめた日数千日に当てて、千間の御堂を建てました。今の慈恩寺(長安の大慈恩寺?玄奘三蔵法師が、天竺から持ち帰った仏典を収めた仏教寺院)です。日本では、西寺(かつて平安京にあった寺?)のようなものです。なれば、后がたちまち成仏する時、こん蓮台(紫雲蓮台?紫雲=仏教で、念仏を行う者が死ぬとき、仏が乗って来迎するとされる雲。蓮台=仏・菩薩が座る蓮の花の台座)を寄せて、来迎([浄土教で、人が死ぬ際に一心に念仏すると、阿弥陀仏や菩薩が迎えにやって来ること])しました。そのしこん(紫雲?)に擬えて、藤が数多く植えてあります。そういう訳で、藤の名所となっております。母親の慈悲というものは、これほどのものでございます」と申しました。


続く


by santalab | 2015-04-22 20:49 | 曽我物語

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