今の世に、石竹と言ふ草、かふりよくが射ける矢なりとぞ申し伝へたる。されば、弓取りの子は、七歳になれば、親の敵を討つとは、この心なり。心ざしに依り、石にも矢の立ち候ふぞや。この心を歌にも詠みけるとぞ、
虎と見て 射る矢の石に 立つものを など我がこひの 通らざるべき」。
十郎聞きて、「や、殿、歌は
然様なりとも、
祐成に遭ひての物語、『など我が
敵討たであるべき』と語れかし」。「
実にや、
折による歌物語、悪しく
申して思ゆるなり。歌はともあれ、かくもあれ、この度は、敵討たん事安かるべし。
老少不定の習ひなれば、我らは、
悪霊とも成りて、取るべきにや」とたはぶれて、鞭を打ちてぞ、急ぎける。
今の世に、石竹([ナデシコ科の多年草])と言う草ですが、かふりよくが射た矢だと伝えられています。つまり、弓取りの子は、七歳になれば、親の敵を討つと申すは、この心なのです。心ざしに依り、石にも矢が立つのです。この心を歌にも詠んでおります、
虎と思い射た矢は石にも立つといいます。どうして我が願いが叶わないことがありましょう」。
十郎(曽我
祐成)はこれを聞いて、「なるほど、殿よ、歌はそうであるとしても、この祐成には、『どうして我が敵を討つことができないことがあろうや』と語るべきであったな」。「そうでしたね、今話した歌物語ですが、覚え違いをしているようです。歌はどうであれ、いずれにせよ、この度は、敵を討つことは間違いありません。老少不定([人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと])の世の中です、我らは、悪霊にもなって、敵を取りましょうぞ」と冗談を言い合いながら、馬に鞭打って、先を急ぎました。
(続く)