折節、乗り替へ一騎も付かざれば、一の射翳の前を遣り過ごす。二の射翳の八幡三郎、もとより騒がぬ男なれば、「天の与へを取らざるは、返りて咎を得る」と言ふ、古き言葉を思ひ出で、すは射損ずべき。射翳の前を三段ばかり、弓手の方へ遣り過ごして、大の尖り矢差し番ひ、よつぴき、しばし固めて、ひやうど放す。思ひも寄らで通りける河津、乗りたる鞍の後ろの山形を射削り、行縢の着際を前へつつとぞ射通しける。河津もよかりけり。弓取り直し、矢取つて番ひ、馬の鼻を引つ返し、四方を見回す。「知者は惑はず、仁者は愁へず、勇者は恐れず」と申せども、大事の痛手なれば、心は猛く思へども、性根次第に乱れ、馬より真逆様に落ちにけり。後陣にありける父伊東の次郎は、これをば夢にも知らずぞ下りける。頃は神無月十日余りの事なれば、山巡りける叢時雨、降りみ降らずみ定めなく、立つより雲の絶え絶えに、濡れじと駒を早めて、手綱掻い繰るところに、一の射翳にありける大見の小藤太、待ち受けて居たりけれども、験なし。左の手の内の指二つ、前の鞖の根に射立てたり。
ちょうど、河津祐泰には乗り替えの一騎も付いていませんでした、一の射翳([伏兵]。大見成家)の前を通り過ぎました、二の射翳の八幡三郎(八幡行氏)は、冷静沈着の男でしたので、「天の与えを逃しては、返って咎を受ける」という、古い言葉を思ひ出して、なんとしても射損ずるわけにはいかぬ。射翳の前を三段ばかり、弓手([左手])の方へ遣り過ごして、大の尖り矢([先の鋭くとがった鏃を付けた四枚羽の矢])を弓に番い、よく引き、しばし止めて、矢を射ました。そんなことは思いも寄らずに通っていた河津(伊東祐泰)が、乗っていた鞍の後ろの山形を射削り、行縢([遠行の外出・旅行・狩猟の際に両足の覆いとした布帛や毛皮の類])の着際([着物など身につけるものの端の部分])を射通しました。河津(伊東祐泰)も弓の上手でした。弓を取り直し、矢を取って番い、馬の鼻を引っ返して、四方を見回しました。「知者は惑はず、仁者は愁えず、勇者は恐れず」(『知恵のある者は惑わされることがなく、仁の徳がある者は憂いはなく、真の勇気がある者は恐れない』。『論語』)と申しますが、大事の痛手でしたので、勇敢な心を持っていましたが、意識は次第に遠退いて、馬より真逆様に落ちてしまいました。後陣にいた父伊東次郎(伊東祐親)は、これを夢にも知らず下っていました。頃は神無月([陰暦十月])十日過ぎのことでしたので、山を巡る叢時雨([ひとしきり激しく降っては止み、止んでは降る雨])が、降ったり止んだりして、奥野を立った時より雲は絶え絶えにして、祐親が雨に濡れまいと駒を早めて、手綱を操るところを、一の射翳(伏兵])の大見小藤太(大見成家)は、待ち受けていましたが、狙いは外れました。矢は祐親の左手の内の指二本、を射通して前の鞖([馬具の名。鞍の前輪・後輪の左右に付けて、胸繫・尻繫を結びつける革紐の輪])の本に突き挿さりました。
(続く)