伊東、涙を抑へて申しけるは、「未練なり。汝、仇は思えずや」と言ふ。「工藤一臈こそ、意趣ある者にて候へ。それに、只今、大見と八幡こそ見え候ひつれ。怪しく思え候ふ。従ひ候ひては、祐経在京して、公方の御意盛りに候ふなる。しかれば、殿の御行方いかがと、黄泉の障りともなりぬべし。面々頼み奉る。幼い者までも」と言ひも敢へず、奥野の露と消えにけり。無慙なりける有様かな、申す量りぞなかりける。伊東は、余りの悲しさに、しばしば、膝を下ろさずして、顔に顔を差し当て、くどきけるこそ哀れなれ。「や、殿、聞け、河津。頼む方なき祐親を捨てて、いづくへ行き給ふぞ。祐親をも連れて行き候へ。母や子どもをば、誰に預けて行き給ふ。情けなの有様や」と歎きければ、土肥の次郎も、河津が手を取り、「実平も、子とては遠平ばかりなり。御身を持ちてこそ、月日の如く頼もしかりつるに、斯様に成り行き給ふ事よ」と、泣き悲しむ事限りなし。国々の人々も同じく一つ所に集まり居て、袖をぞ濡らしけり。
伊東(伊東祐親)が、涙を抑えて申すには、「無念ぞ。お前よ、敵に覚えはあるか」と訊ねました。「工藤一臈(工藤祐経)こそ、意趣([恨みを含むこと])ある者です。それに、先ほど、大見(大見成家)と八幡(八幡行氏)の姿が見えました。怪しく思われます。祐経の家来どもですが、当の祐経は在京して、公方([朝廷])に重用されておるとか。もしそうならば、殿(祐親)の行く末もどうなることかと思えば、黄泉([冥土])への妨げにもなりましょう。面々くれぐれも頼み申す。幼い我が子のことも」と言い敢えず、奥野の露と消えました。何ともいたましいことでした、申す言葉もありませんでした。伊東(祐親)は、あまりの悲しさに、しばし、膝も下ろさず、顔に顔を差し当て、何度も呼びかけましたが哀れなことでした。「や、殿、聞こえるか、河津(河津祐泰)よ。頼りにする者もないこの祐親を捨てて、どこへ行こうとしておるのだ。この祐親も連れて行かぬか。母や子どもを、誰に預けて行くのだ。情けないぞ」と嘆くと、土肥次郎(土肥実平)も、河津(祐泰)の手を取り、「この実平も、子は遠平(土肥遠平)ばかりよ。遠平がおればこそ、月日の如く頼もしく思っておる、このようなことがあってなるものか」と、泣き悲しむこと限りありませんでした。国々の人々も同じ一つ所に集まって、袖を濡らしました。
(続く)