母は、昔を思ひ出づれば、彼らは、さても憂き命近き限りの涙の露、思はぬ余所目に取り成して、袖の返しに紛らかし、しばし舞ひてぞ入りたりける。かくて、酒も過ぎければ、十郎畏まつて、「今度、御狩に罷り出で、兄弟中に、如何なる高名をも仕り、思はず御恩にも預かり候はば、率塔婆の一本をも心安く刻み、父聖霊に供へ奉らばやと存じ候ふ」。母聞き給ひて、「などやらん、この度の道心、心許なく思ゆるぞや。よき程にも候はば、思ひ止まり給へかし。さりながら、もしやの望みも哀れなり。女房たち」とのたまへば、白き唐綾に鶴の丸所々に縫ひたる小袖一つ取り出だし、「十郎にも取らせぬるぞ。失はで返し候へ。十郎は、常に小袖を借りて返さず。これは、曽我殿の見たる小袖なり。二度とも見えずは、また例の子どもに取らせたりと思はれんも恥づかし。小袖をしたためておくべし。構へて構へて、疾く帰り給へ」とありければ、「承り候ふ」とて、練貫の損じたるに脱ぎ替へ、「見苦しく候へども、人に賜び候へ」とて、帰りにけり。小袖の用はあらねども、互ひの形見の替へ衣、袖なつかしく打ち置きける。
母が、昔を思い出せば、彼らは、いずれ先のない悲しい命を思い涙がこぼれるのを、見られないよう、袖の返しに紛らせて、しばらく舞ってから戻りました。こうして、酒宴も過ぎて、十郎(曽我祐成)は畏まって、「今度、御狩に出て、我ら兄弟が、いかなる高名も上げ、思わぬご恩にも預かることができたなら、率塔婆の一本をも心安く刻み、父(河津祐泰)の聖霊に供ようと思っております」と申しました。母は聞いて、「どうしてでしょうか、この度の道心が、気がかりで心配なのです。母のことを思うのなら、思い止まりなさい。とは申せ、そなたたちの望みもよく分かります。女房たち」と申せば、白い唐綾に鶴丸を所々に縫った小袖を一つ取り出し、「十郎(祐成)にも取らせましょう。失くさず返しなさい。十郎は、いつも小袖を借りては返したことがありません。これは、曽我殿(曽我祐信)が見た小袖です。再び見えなければ、またいつものように子どもに取らせたと思われて恥ずかしい思いをします。小袖を失くさないように。くれぐれも気を付けて、できるだけ早く帰なさい」と申せば、十郎は、「分かりました」と答えて、練貫([平織りの絹織物])の破れたものと脱ぎ替えて、「見苦しいものですが、人にあげてください」と申して、宿所に帰りました。小袖が必要ではありませんでしたが、互いの形見の替え衣として、袖に未練を残し置いたのでした。
(続く)