かくて出でけるが、「いざや、今一度、母を見奉らん」とて、暇乞ひにぞ出でける。母のたまひけるは、「構へて、人といさかひし給ふな。世にある人は、貧なる者をば、痴がましく思ひ侮るべし。然様なりとも、咎むべからず。三浦・土肥の人々は、然様にはあらじ。その人々に交はり、歩き給へ。心の逸るままに、人の相付けたる鹿、射給ふべからず。公方の御許しもなきに、弓矢持たずとも、出で給ふべし。謀反の者の末とて、咎めらるる事もやあらん。如何にも、理過ごし給ふな。年来、憎まれずして養ぜられたる曽我殿に、大事掛けて、恨み受け給ふな」と、細々とぞ教へける。五朗は、聞きても色に出ださず、十郎は、斯様の教へも、今を限りと思ひ、心の色の顕れて、涙ぐみければ、急ぎ座敷を立ちにけり。
こうして宿所を出ましたが、「どうだ、もう一度、母に会って行こう」と申して、別れを申しに訪ねました。母が申すには、「よいですか、他人と争ってはなりませんよ。世にある人は、貧しい者を、愚かな者と軽蔑するものです。そういうことがあっても、言い答えしてはなりません。三浦・土肥の人々は、そんなことはしません。その人々と一緒に、いなさい。心が逸っても、他人が追う鹿を、射てはなりません。公方(お上)のお許しがなくて、弓矢を持たずとも、狩りに出なさい。謀反の者の子孫だからと、非難されることもあるでしょう。いいですか、出すぎたことは止めなさい。年来、憎むことなく育ててくれた曽我殿(曽我祐信)の、事を思って、恨まれることのないように」と、細々と教え諭しました。五朗(曽我時致)は、これを聞いて顔色に出さず、十郎(曽我祐成)は、このような母の教えも、今を限りと思い、心の色が顕れて、涙ぐみ、急ぎ座敷を立ちました。
(続く)