五朗、待遠なる折節、十郎来たりて、「この者送りしとて、今まで時を移しぬ。如何に不思議に思ひ給ひけん」と申しければ、「何かは苦しく候ふべき。昔も、さる事の候ふ。釈尊、母の報恩の為に、たう利天に上り給ふ。帝釈聞き給ひて、毘首羯磨と言ふ天人を下し給ふ。う天王喜びて、赤栴檀にて、如来を作り奉り、いづれを移したる姿とも見えずぞ作りける。う天王、喜びの余りに、毘首羯磨を留められければ、「我はこれ、善法の大工なり。止まるべからず」とて、遂に天に上りぬ。その像を玄弉三蔵盗み取りて、この国に渡し、多くの衆生を済度し給ふ。今の嵯峨の釈迦、これなり。ましてや、人間として、如何でか恩愛思はざるべき」。十郎聞きて、「大きに違ふ心かな。う天王は、利益方便の請ひなり。薄地凡夫、輪廻の執着なり。一つにあらじ」と笑ひて、各々富士野の出で立ちをぞ急ぎける。
五朗(曽我時致)が、待遠しく思っているところに、十郎(曽我祐成)が帰って来ました、「この者が見送りしてくれるというので、今まで時を移してしまった。どうして戻って来ないのか怪しく思っていたのではないか」と申せば、時致は「そんなことはありません。昔にも、同じようなことがありました。釈尊(釈迦)が、母(摩耶夫人)の報恩のために、たう利天([六欲天の第二])に上りました。帝釈天はこれを聞いて、毘首羯磨(帝釈天の侍臣)という天人を下しました。う天王(牛頭天王)はよろこんで、赤栴檀で、如来を作り、ほかの像とはまったく違うほどすばらしい仏像を作りました。牛頭天王はよろこびのあまり、毘首羯磨を留めると、「わたしは、善法の大工です。留まるわけには参りません」と申して、天に上ってしまいました。その像を玄弉三蔵(三蔵法師)が盗み取って、我が国に渡し、多くの衆生を済度([仏が、迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと])しています。今の嵯峨(現京都市右京区嵯峨にある清涼寺)の釈迦は、これです。ましてや、人間として、どうして恩愛に与らないわけがありましょう」と申しました。十郎(祐成)はこれを聞いて、「まったく違う話ぞ。牛頭天王は、利益([ 仏・菩薩が人々に与える恵み])の方便([仏が衆生を教化・救済するために用いるさまざまな方法])のためのものだ。この薄地凡夫([無知・凡庸な者])は、輪廻に執着してのこと。まったく違うものよ」と笑って、富士野へと急ぎ出で立ちました。
(続く)