佐殿、喜び思し召して、御名をば、千鶴御前とぞ付け給ひける。つらつら往事思ふに、旧主が住まひし、古風のかうばしき国なれども、勅勘を被りて、習はぬ鄙の住まひの心地ぞありつるに、この者出で来たる嬉しさよ、十五にならば、秩父・足利の人々、三浦・鎌倉・小山・宇都宮相語らひ、平家に掛け合はせ、頼朝が果報のほどを試さんと、もてなし思ひ傅き給ふ。
佐殿(源頼朝)は、よろこんで、名を、千鶴御前と付けました。よくよく当時を思い返せば、旧主(源義朝。坂東源氏)が住んだ、懐かしい国ではありましたが、勅勘を被り、馴れぬ鄙([田舎])住まいの寂しさを覚えていましたが、この子が生まれたうれしさに、十五になれば、秩父・足利の人々、三浦・鎌倉・小山・宇都宮の人々を味方に付け、平家と争い、この頼朝の果報のほどを試そうと、大事にしました。
(続く)