ややありて、虎、息の下に言ひける、「いつとなく、さぞと契らぬ夕暮れも、駒の足並み、轡の音のする時は、もしやと思ふ折々の、その人となく過ぎ行けば、その夜は、空しく床に伏し、鳥の音に湛へつつ、我が涙落つる枕の上より、明くる思ひをさへられ、夕べの鐘の声には、暮るる便りを待ち馴れて、干されぬ袖のそのままに、はかなかりける契りかな。三年の夢の程もなく、別るる現になりにけり。さて、いつの世に巡り合ひ、斯かる思ひのまたもや」と、声も惜しまず泣き居たり。「祐成、身の上をつくづく思ふに、罪の深きぞ知られたる。幼くして、父に後れ、本領だに当たり付かず、母一人の育みにて、身命を過ぐすといへども、ある甲斐もなし。この三年、御身にだにも相馴れて、飽かぬ別れの悲しさ、歎きの中の歎きなれ。五欲の無常は、春の花、娑婆は、仮の宿りなり。秋の紅葉の影散りて、草葉にすがる露の身の、後生弔ひて賜び給へ」とて、東西へ打ち別れけるにて、
しばらくあって、虎御前は、かすかな声で申すには、「いつと、定かに約束しない夕暮れも、馬の足並み、轡の音のする時は、もしやそなたと思う折々に、その人となく過ぎ行けば、その夜は、空しく床に伏し、鳥の音に涙があふれて、涙が落ちる枕上では、夜が明けないのではないかと思われて、夕べの鐘の声を聞けば、また同じ夜が来るかと、涙の乾く隙もない、そんなはかない契りでした。三年の夢と思うほどもなく、別れる時になりました。また、いつの世に巡り合い、同じお思いをするのでしょうか」と、声も惜しまず泣きました。「この祐成の、身の上を思うほどに、罪の深さを知るのだ。幼くして、父(河津祐泰)に先立たれ、本領([もともと所有した領地])さえ我がものにならず、母一人に育てられ、命永らえてきたが、生きてきた甲斐もなかった。この三年、そなたばかりに相馴れて、飽かぬ別れの悲しさは、嘆くとも余りあるほどぞ。五欲([財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五つの欲望])の無常([移り変わってすこしもとどまらないこと])は、春の花のようなもの、娑婆([この世])は、仮の住みかよ。秋の紅葉の葉が散り、草葉にすがる露のような我が身だが、後生([来世で極楽に生まれること])を弔ってほしい」と申して、東西へ別れ行きました、
(続く)