後陣の警固の武士、甲冑を鎧ひ、弓箭を帯する隨兵、上下に番ひ、左右の帯刀、二行に並び、御調度懸の人、弓手、馬手に相並ぶ。御迎への伶人は、伎楽を調へ、羅綾の袂を翻す。御前の舞人は、鶏婁を打つて、舞行の踵をそばだつ。君の召さるる御船は、大船数多組み合はせ、幔幕を引き、沈の匂ひ、四方に満つ。これや、諸仏の弘誓の船も、かくやと思ひ知られたり。侍どもの乗りける船数、百艘に及べり。いづれも、屋形を打ちたりける。無双の武具を立て並べ、鎮まり返り、漕ぎ連れたり。
後陣の警固の武士たちは、甲冑を鎧い、弓矢を持った隨兵が、前後に付いて、左右には帯刀が、二列に並び、調度懸([武家で外出の際に、弓矢を持って供をした役。調度持ち])の者どもが、弓手([左])、馬手([右])に並びました。迎えの伶人([雅楽を奏する者])は、伎楽([日本最初の外来楽舞])を調べ、羅綾([高級な美しい衣服])の袂を翻して舞いました。御前の舞人は、鶏婁鼓([雅楽用の楽器。中国から伝来したもので、直径・長さともに約18cmの小形の太鼓。左方=唐楽。の舞人が首から下げて右手のばちで打つ])を打って、舞人は足を上げながら舞いました。君(源頼朝)乗った船には、大船を数多くつなぎ合わせて、幔幕([行事の場所などを他と区別するためまわりを 囲むのに用いられる布製の用具])を引き、沈([沈香])の匂いが、四方に満ちました。これぞ、諸仏の弘誓の船も、このようではないかと思い知られるのでした。侍どもの乗った船は、百艘に及びました。いずれも、屋形を付けていました。無双の武具を立て並べ、鎮まり返って、漕ぎ連れていました。
(続く)