ここに、間守と言ふ大臣あり、この願ひを聞き、「安き事なり。異国に渡り、取りて参らせん」と言ひて、立ちければ、君、喜び思し召して、「さては、いつの頃に、帰朝すべき」と、 宣旨ありければ、「五月には、必ず参るべし」と申して、渡りぬ。その月を待てども、見えずして、六月になりて、「我は留まりて、人して橘を十参らせ、なほ尋ねて参るべし」とて、留まりけれども、橘の参る事を、后、大きに喜び給ひ、用ひ給ふ。その徳に依りて、皇子御誕生あり。御位を保ち給ふ事、百二十年なり。景行天皇の御事、これなり。
ここに、間守と言う大臣(田道間守)がいました、この願いを聞き、「容易いことです。異国(常世の国)に渡り、持って参りましょう」と申して、旅立つことにしました、君(第十一代垂仁天皇)は、よろこばれて、「ところで、いつの頃に、帰朝するであろう」と、申されると、「五月には、必ず帰って参りましょう」と申して、常世の国に渡りました。垂仁天皇は帰国の月を待ちましたが、帰らず、六月になりました、「わたしはこの国に留まり、人に付けて橘を十つ参らせます、わたしはさらに橘を求めてから帰ります」と申して、間守は常世の国に残りましたが、橘が参ることを、后は、たいそうよろこんで、食しました。その徳により、皇子が誕生しました。位を保つこと、百二十年でした(景行天皇の御代は六十年)。景行天皇(第十二代天皇)の、ことです。
(続く)