その頃の太政大臣基経の大臣と聞こえけるは、宇多の帝の御時に失せ給ひにけり。中納言長良と聞こえけるは、贈太政大臣冬嗣の御太郎にぞおはしける。後には贈太政大臣と聞こえける。かの御三郎にぞおはしける。その基経の大臣失せ給ひて、後の御諡昭宣公と聞こえけり。
その頃の太政大臣基経大臣(藤原基経)と申すのは、宇多天皇(第五十九代天皇)の御時に亡くなりました。中納言長良(藤原長良)と申すのは、贈太政大臣冬嗣(藤原冬嗣)の長男でした。後には贈太政大臣と申しました。長良の三男が基経でした。基経大臣が亡くなり、後に諡号を昭宣公と申しました。
(続く)